「遊女」と呼ばれる女たち

吉原小話

「遊女」のお仕事

まず、「遊女」とは、どういう仕事でござんしょう?

古く『万葉集』には、

旅する女として「遊行女婦(うかれめ)」の名で書かれております。

時代が下るにつれて呼び方も様々となりました。

中世には「傀儡女(くぐつめ)」や「白拍子(しらびょうし、はくびょうし)」、
「遊女(あそび)」、「傾城(けいせい)」、「上臈(じょうろう)」などと呼ばれておりました。

その他「女郎(じょろう)」、「遊君(ゆうくん)」、「娼妓(しょうぎ)」という呼称もござんす。

「遊女」とは、当時の一般的な呼び方でして、
働く場所により名称も異なります。

江戸時代の一時期には、遊郭で高い位を指す「花魁(おいらん)」や「太夫」、
湯屋で働く「湯女(ゆな)」、
宿場で働く「飯盛女(めしもりおんな)」も、
やるこた同じ!態で、使われておりました。

しかし、これは、ちょっとばかし、
十派一絡げでござんすね。

「遊女」とは本来売春を主たる生業とする者ではない、とする説もござんす。

源義経の愛妾として有名である静御前は白拍子と呼ばれ、
歌って踊れる、芸能主軸の「遊女」でござんした。

この他、人形芝居の傀儡師から、
寺社の建築・改修資金を集めるため諸国を漫遊する巫女や比丘尼、
宿場で給仕兼娼婦役の飯盛女、
垢すりや髪すき以外に性的なサービスもする湯女(1633年頃娼婦化)、茶立女、女按摩など、
隠語まで含めると、もう!

これらの名称で呼ばれた女が、
実際に、春を売っておりましたかは、定かではござんせん。

芸者や舞妓は基本的に売春はしないこととなっておりますが、
見世や客や妓本人によっては、
春を鬻ぐ者もおりましたようで。

名前は芸者屋でも、
一皮剥けば、実際は売春宿ということも。